5月20日 TOKYO LANGUAGE SUBIMISSIONS 出演者紹介(4) 

5月20日 TOKYO LANGUAGE SUBIMISSIONS
出演者紹介(4)


原千尋(from 名古屋)



日記がわりに詩を書く、よくいる中二病患者。
09年頃インターネットでオープンマイク「詩のあるからだ」の存在を知り、
朗読に目覚める。
以降、名古屋を中心に色々なオープンマイクやマイクバトルに出没。
エキセントリックな愚痴ポエムを偽ラップや偽一人芝居風に語る。
SSWS(新宿スポークンワーズスラム)
2012年グランドチャンピオントーナメントベスト4


原千尋 BLOG 「雨と太陽」


http://blog.goo.ne.jp/ame-to-taiyo

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TOKYO LANGUAGE SUBMISSIONS
LIVE出演者では、最後の紹介になるのは三原千尋です!
所謂ポエトリーリーディングスタイルとしては
唯一の出演になる、今パーティーのキーパーソンです。


言葉と音を表現するパーティー
同じポエトリーリーディングのフィールドから
どなたに出演いただくか?
実は、もっとも頭を悩ませた部分です
今まで出会った様々な人達をよぎらせながら
しかし、この人しかいないのだろう、という確信を
得たのは、実は去年からだったのかもしれません。
今にして思えば。
SSWS予選、チャンピオントーナメントと
ご一緒して、実際に対戦して
その真摯な姿勢、魅力的なパフォーマンス、
相手がラッパーであろうと決して揺るがない世界
それらを目の当たりにしたことが、全てだと思います。


音楽とポエトリーリーディング、その関係は
実際の所、交錯しながら距離を保っている
微妙な関係にあるんだな、というのが
リーディングの世界に入ってきて感じた
率直な感想です。
誌の世界にも、色々な方法論があるし
全てを観たわけではありませんが、
音楽と対峙する、ということに対しての意識、
また音楽側から見たポエトリーリーディングに対する
意識、というのも微妙に温度差がある。
微妙、であるが故にその溝は深い場合もあったりする。


SSWSで観た三原千尋のステージは、
確かに方法論はスタンダードはリーディングではありましたが、
その佇まいは、明らかに表現の枠を超えて
訴えかけてくる物がありました。
おそらく、詩人でMARZのスピーカーに
よじ登ったのは、彼女が最初で最後になるでしょう。
相手がラッパーで詩人であろうと、ラッパーであろうと
関係なく、ただ目の前の相手を倒すこと
上がったステージをジャックすること
無論、観る者の心を掻き立てるような言葉を
持っていることがまずもってです。
彼女の言葉は、刹那的であり、
繊細さと強さの間を絶えず揺れ動いている
そこにスピード感が絶えず伴っていて
読む者、観る者をグイグイ引きこんでいく
彼女のステージを観て、音楽と詩の区分とか
考えてることが意味無いんだなあと、
再認識させられました。
今クールで、唯一彼女が詩人でSSWSグラチャン
上がったのは、当然のことでした。


表現の世界に、勝ち負けをつけること、
そこに意味があるのかないのか
スポークンワーズに限らず、バトルと呼ばれる
形式の場には、絶えずつきまとう疑問です。
それぞれの場には、それぞれのルールが
当然無意識のうちにでもあって、
そういった場が必要であるのかどうかは
色々な意味で、岐路に立っているのかもしれません。
それでも俺は、勝ち負けはあるべきだと思います。
相手がいることが、前提ではなく
自分自身がその場所で充分に闘うことができたのか
それもまた、勝負だと思っています。
少なくとも、SSWSで共にエントリーした人達から、
俺はそういうことを学んだし
その中でも彼女のステージから受け取った物は、
同じリーディング側の人間として
トテツもなく大きかった、ということです。


さて、TOKYO LANGUAGE SUBMISSIONS当日
名古屋からバスに揺られてやってくるこの詩人に
一体どれくらいの人がノックアウトされるのか。
そこで、三原千尋は勝利の笑みをたたえるのか。
その瞬間を、俺は静かに待っています。