人間バーベキュー


オレンジいろの炎のなかの黒い塊がどさっと崩れる
そのときプリントアウトされたバーベキュー


近田春夫は、初めて日本語でヒップホップを作った。
それから、じゃがたらのライヴに感銘を受け
大人数バンドを作って、ステージに立った。
まだ、ヒップホップカルチャーが根付いていなかった時代
近田は日本語と、人々の生活感に拘った。
バブルが崩壊し、徐々に傾き始めた日本で
彼は「調子悪くて当たり前」と投げかけた
ライミングとは別の意味で言葉の情報量が
グルーヴを生み、消費される生活観が描写される
そのアルバムは「エントロピー・プロダクション」と
名づけられた。


ビブラの反社会的なメッセージについて
雑誌で何度も質問を受けた近田は、こう答えた。


「インチキなんだよ。全部」


江戸アケミの、追悼ライヴ。日比谷野音。満員の観衆
ビブラと共にステージに立った近田はこう言った。


「そんなに大事だったら、何でもっと早く観に来なかったんだよ」