言葉がなければ可能性はない

ご無沙汰しております。


時間が経過するうちに
色々なことがありましたが、ご報告するのが
遅くなってしまいました。
申し訳ございません。


昨日、SSWS三次チャンピオントーナメントに
出場してきました。
結果は、準決勝でMOROHAのアフロ、田中光
最強タッグ「ふんわり名人」に敗戦。
グラチャンまで後一歩、という所でした。残念。


その「ふんわり名人」を決勝で破ったのが
名古屋からエントリーした詩人、三原千尋でした。
元々、今回SSWSに出場しようと思ったのは
5月に予選で敗退した時に、やはり
アフロ、田中光、三原千尋と一緒で
その時の戦いが凄い楽しかったので
もう一度戦いたい、という単純な理由で
6月の予選にエントリーして
勝ち上がってきたのです。
残念ながら、今回も返り討ちにあったわけですが
でも、楽しかった。
昨日出場したMC Fizzもそうでしたが
俺は単純なジャンルの枠を超えて、何かを届けようと
考えている人達が好きです。
詩人であろうと、ラッパーであろうと関係ない。
その人のもっている人間力が、表現を通して
浮き彫りになる。昨日のチャンピオントーナメントは
そんな夜だったと思います。
負けて言うのもなんですが、彼らとは
これからも何某かの形で関わっていきたいと
思っています。


ご存知の方もいらっしゃると思いますが
ラッパーであり、スポークンワーズアーティストとしても
活躍していた不可思議/WONDERBOYが、6月23日
24歳という若さで亡くなりました。



つい先日リリースされたファーストアルバム
「ラブリー・ラビリンス」も
各所で反響を呼び、ヒップホップ、ポエトリーリーディング
枠に囚われない新しいリスナーを獲得し
まさにこれから希望ある未来の扉が開きつつあった
その矢先に訪れた訃報でした。


2009年にリリースされた
「言葉がなければ可能性はない」というコンピレーションCDは
不可思議/WONDERBOYがSSWSや東京のリーディングイベントで
出会った、若手の詩人を集めて企画したスポークンワーズのCDです。


http://lowhighwho.cart.fc2.com/ca1/51/p-r-s/


2009年の秋、リリース仕立てのこのCDを
オープンマイクが催されていた
高田馬場のBENS CAFÉで今村知晃から買いました。
その日のことを、とても良く覚えているのは
俺がオープンマイクに参加して
詩人と呼ばれる人達の前で
自分が作った物を初めて読んだ日だったからです。
初めて上がったベンズカフェの小さなステージは
物理的な意味を越えてとても遠く
その中で拙い詩とも呼べない文章を読んでいる自分は
とてもか細い存在だった。
押しつぶされそうになりながら、終演後一目散に
ベンズカフェを去っていった。
ああ、やっぱり俺には無理なんだな。
できないことなんだ。


家に帰って、何とか力を振り絞って
買ってきたCDをプレーヤーにセットした。
それから暫く、言葉を失ったまま聞き入っていました。
そこで聴いたのは、詩であり、言葉であり、しかし今まで
全く聴いたことが無かった新しい表現。
ヒップホップやダブステップの上を、
自由に動き回る言葉の洪水だった。
そう、言葉は 圧倒的に自由だった。


一体、これが現場でどのように鳴っているのか知りたくなり
その2日後、CDに参加していた猫道とイシダユーリが
出演するライヴを、渋谷のSAZANAMIに見に行って
そこで改めてノックアウトされました。
ああ、これだ。俺の予感は間違っていなかった。
できることならば、この場所にいたい。
できるかどうかは分からないけれど、
ここで表現していきたい。
その時、最初に出てきて2人に負けるとも劣らない
物凄いフリースタイルをかましていったのが
昨日のSSWSチャンピオントーナメントに出場していた
MC Fizzでした。


それから、様々なオープンマイクやスラムに出かけるうちに
「言葉が〜」に参加していた方々とも顔を合わす機会が増え
彼らが企画するライヴに出演するようにもなり
ただ、不思議なことに企画者であったWONDERBOYと、
面と向かって話をする機会は、一度も訪れませんでした。
俺が足を踏み入れた頃には、彼の姿をオープンマイクで
見かける機会は殆どなかったし、ライヴを何度か観る程度でした。
唯一同じステージ立ったのは
彼が優勝した昨年末のYSWSグランドチャンピオントーナメント。
バトルの現場で、しかも彼は最後まで勝ち残っていたので
話すことはありませんでしたし、
YSは終了するとすぐに撤収の時間になるので
簡単な挨拶だけして別れた。
ただ、俺のステージが終わった時に、客席からひとりだけ
若い青年の歓声が上がっていたのは今でも覚えています。
聞き間違いでなければ
多分、それはWONDERBOYの声だった。


それから数日後に、mixiを通じて彼からその日の感想が
短く届いて、俺も短い祝辞を返してマイミクになった。
俺たちが接触したのはそれが全てで、最初で最後の機会だった。
俺と彼がまた場所を同じにすることは、果たしてあっただろうか。
やはり、なかったのかもしれないな、とも思う。


人には 様々な側面があります。
俺と接している時のあなたと、違う誰かと接している時のあなたは
おそらく話し方も表情の作り方も全く変わっていることでしょう。
その反対もまたしかり。
俺たちがやっているのは、ある意味自分を削って言葉を
紡いでいくという作業だから、磨り減らすし消耗する時もある
それらの言葉がその人の内側全てを語っているとは限らない
自分がそうなりたい、という願望を背負っていたりもする
言葉に励まされたり、裏切られたり、押し潰されたり
俺たちはそういう一進一退を繰り返している。


俺よりも、不可思議/WONDERBOYと深く関わっていた人達
また、年月の深さは関係なく不可思議/WONDERBOYの音楽から
何かを受け取り始めていた人達の言葉が
ネット上に溢れていて、今も止まない。
深く関わっていたが故に黙している人達もいるだろうし
ここ数日のオープンマイクでその思いを述べる人達がいるのも
知っている。
もし、検索してここに辿り着いた方が
彼について何の情報もない文章を
書き連ねていることに憤慨されているとしたら
申し訳ないことだと思うけれど
それでも、彼が「言葉がなければ可能性はない」を
企画していなければ、
あの日「言葉がなければ可能性はない」を聞かなければ
おそらく俺は話すのを止めていただろうし、
こうやってSSWSのリングに立つこともなかっただろう。
その機会を作ってくれたことの謝辞だけは残しておこうと思い。
文章を打ち込んでいる次第です。


本当は、本人に伝えるべきことだったけどね。
どのくらい先になるか分からないけれど
いつか伝えられれるだろう、と思っていたから。
言えなかったな 結局。


彼の原点ともいえる、昨夜のSSWSでは
司会のマサキオンザマイクが、WONDERBOYに捧げる
フリースタイルを冒頭で披露して
太郎本人がWONDERBOYをDJする、という瞬間はありましたが
その前に訪れた幾つかのオープンマイクよりも
彼に対する追悼という空気は極力抑えられていた
あくまでも、現場で戦う人間が尊重され
普段と変わることなく、バトルが繰り広げられた。
そのことに一番強く感銘を受けました。


日曜日のオープンマイクが終わった後に、大島健夫
昨日SSWSが終わった後、MC Fizzと短い話をした。
俺たちにできることは、その日その日のマイク・ステージを
精一杯こなして、プロップスを獲得していくことだ
何も特別なことはしない。
自分達にできることを、ひとつひとつこなしていく。
作って、読んで、目の前の壁を越えていく。
昨日は 正直言って物凄く勝ちたかったけど
これで終わることなんて何もないから
また次に行くだけだ。


君が本当に言いたいことは何だ
本当に伝えたいことは何だ
問いかけを繰り返しながら
交差点を左に曲がっていく
何が待っているか
知る必要はない
俺たちが歩くその先に
必ず道は伸びている
必ず