こんにちは猫道 こんにちは猫道 こんにちは猫道


http://blog.goo.ne.jp/kabukidamashii/e/39b48029eeffb7f201d2b2a58afcc8ac


猫道節とは、一体何であるか?
という命題は
スポークンワーズとは一体何であるか?
という命題にそのまま繋がるかもしれない。
朗読でも、ポエトリーリーディングでもない
スポークンワーズという言葉
新宿や高田馬場や横浜で
先人達が作ってきたスポークンワーズというジャンル
そこには、明確なジャンル分けはない。
ある者は詩人として、ある者は演劇から、
またある者は音楽からやってくる。
その場に言葉を残して、そして去っていく
人間交差点の風景そのもの。


猫道節を最初にYOUTUBEで観た時に
まず、新鮮だったのは言葉の情報量だった
音楽でも演劇でもラップでも
何某かのルールに基づいている表現では
好むと好まないに関わらず、使用する言葉に
限界がでてくる。
猫道節をフレッシュ!だと感じたのは
そういった垣根を全て取っ払って
影響を受けた全てのジャンルを鍋に入れていく
情報量の沸騰加減、であったように思う。
それは、去年実際に観に行った時にも
はっきりと確認した。
少なくとも、uraocbとFIZZという
スポークンワーズパフォーマー
猫道節に出会わなければ生まれなかった。
その日の日記に、私はこう書いた。
いつだって際限なく混沌としていて
結局自分が持ってるもの全部ぶつけるだけなんだよ。
何やってても。


その一方で
猫道、という表現者
客観的に自分やイベントをプロデュースする
能力に長けている人でもある。
もし、彼がDJでやっていれば長尺の時間に
様々なドラマを使って人々を高揚させるだろう。
膨大な数のライヴ映像から厳選されて
このDVDに収録された映像は、
日付やパフォーマーは違えど
特典映像を含めて、言葉の幾つかが繋がりをもって
同時に進行していく、いわばDJミックス的な構成になっている。
それが、一番最後のモリマサ公に繋がっている。
実にクールであるし、
多面体である東京のスポークンワーズシーンを
上手く描いている。
どの世界でも、パフォーマンスが秀でている人は目立つ。
目立つから自然と旗を振る役目を担うことになる。
それは諸刃の剣で、その人から自由度を奪うこともある。
それでもその役割を担う人がいなければシーンは浮上しない。
このDVDに込められているのは、
製作者のスポークンワーズに対する熱意だ。
これはスポークンワーズのDVDである。


我々がやっているのは、スポークンワーズだ。
音楽だけでも詩だけでもない。
明確な形はなくとも、言葉の息吹が根付いた
スポークンワーズだ。


2010年11月30日渋谷BAR SAZANAMI
猫道ワンマンライヴ
表現力、パフォーマーとしての体力に加えて、
2時間という構成を考え抜いた舞台効果、小道具の配置。
バックトラックと言葉の細部に至る関係性の構築。
それらがひとつひとつクリアーされた時に生まれる高揚感。
圧巻だった。
それでも、まだまだ彼には目指す先があるだろうな
と同時に感じてもいた。
パフォーマンスを継続することは、既視感が増すということで
そこに留まることを、潔しとしないであろう猫道が
これからどこに向かうのか。
来年の今頃、どの場所にいるだろうか。
我々は。