今夜もステージの上で

私がポエトリーリーディング、オープンマイクの現場に足を運び始めたのは今から5年前、2009年の秋だった。その頃から桑原滝弥さんのお名前は存じ上げていた。実際に初めてお会いしたのは、翌年に彼がイシダユーリさんと共催しているオープンマイク「tamatogi」だった。正直言って、その時の思い出は自分のパフォーマンスが良くなかったことと、後にTLSにも出演してもらうことになる三原千尋さんを初めて観たぐらいしか記憶にない。当時は1回1回のオープンマイクでパフォーマンスすることが精一杯だった。まさか、自分がオープンマイクの主催になることなど、夢にも思っていなかった。


2010年12月、当時BB STREETで開催されていた横浜スポークンワーズスラム(YSWS)のグランドチャンピオントーナメント。その出演者の中に私は残っていた。そして、特別審査員として桑原さんもその場にいらっしゃって、ライヴをされていた。その日は、色々なことがあった。パフォーマンスやそれ以外の瞬間でも、様々な言葉や思いが渦巻いていた。結果、グランドチャンピオンの座に就いたのは、不可思議/wonderboyだった。彼は私が影響を受けスポークンワーズの世界に身を置くきっかけになったコンピレーションCD「言葉がなければ可能性は無い」の企画者でもあった。その後、私は「言葉が〜」に出演されていた詩人・スポークンワーダー達と多くの場所を共にし、ライヴや企画に参加していくのだけれど、その発起人だった不可思議/wonderboyと直接対面し、言葉を交わしたのはこの日が最初で最後になってしまった。


桑原さんとは、その日以降暫くお会いすることは無かった。その間にも日々は流れ、色々なことが起こった。震災もあったし、私にも、私たちを取り巻く人達の間にも様々な事が起こった。時を経て2013年の初夏、ふとしたきっかけで私は再び「tamatogi」に足を運び、それから桑原さんのいる場所に出かけるようになった。昨年の夏、早稲田で私はYSWSのグラチャン以来久しぶりに桑原さんの長尺のライヴパフォーマンスを拝見した。偶然にも、その日の桑原さんの演目はYSWSのグラチャンの時と同じだった。しかし、それは4年前に観た物とは異なる印象を私に与えた。月日は流れ、物事が移り変わっていくことを実感した。それから程無く大島健夫とオープンマイクを共催するという話が持ち上がった時、ゲストとして桑原さんの名前がすぐに浮かんだ。候補は何人も浮かんだが、自分が企画するオープンマイクで「初めての」ゲストは、彼以外には考えていなかったのかもしれない。



桑原滝弥、という朗読詩人の魅力は実の所そのテキストの精密な構成力にあると私は思っている。肉体を駆使する彼のパフォーマンスは言語と一体となっているが、その肉体がどのようにして立ち上がり、エンジンを吹かしてピークを迎えていくのか。彼の特に長尺の作品では、そのパフォーマンスに至る起承転結が見事構成されている。一聴するだけでは意味が読み取れないような言葉のひとつひとつが伏線となり、大円団へ加速していく。そのスピード感を表現するソリッドな肉体が、同時に浮き彫りになる。前にも後にも、彼のような朗読家は現れないだろう。初めて桑原さんの朗読を観る方が興味深そうに身を乗り出している姿が、とても印象的だった。


オープンマイクは今回も12枠が全て埋まった。マイクの前に立ったのは登場順に、


死紺亭柳竹さん


石川厚志さん


ソニックナースさん


もがくひとさん


ユーサクさん


しもやんさん


村田活彦さん


llasushiさん

(pic by hiro ugaya)


川島むーさん


あしゅりんさん


ジュテーム北村さん


中村博司さん


オープニングアクト大島健夫の重厚なリーディングで幕を開き、私は最後に「shadowgraph」を朗読した。


(pic by hiro ugaya)


前日に大きな事件が日本中を駆け抜けた。オープンマイクではそのことに言及される方もいらっしゃったし、言葉全体が激しく揺り動かされているような印象を受けた。
オープンマイクは一期一会だ。僅か5分の間を駆け抜け、そして別れる。その場所で起こったこと、空気感は文字の上だけでは伝わりきらない。ステージの上で交わすパフォーマンスや言葉の中にこそ、全ての本質は存在している。私たちはこれからもその意味を見出すために、マイクの前に立つのだろう。


オープンマイク「SPIRIT」、次回は3月2日(月)です。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。